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ご当地ラーメン

荻窪ラーメン(東京都)

「荻窪ラーメン」は、JR中央線・総武線・東京メトロ丸の内線・東西線などの荻窪駅周辺にあるラーメン店で、提供されているラーメンのこと。

1980年代に、テレビ番組で特集が組まれたり、映画のモデルになったり、「荻窪ラーメン」のインスタント食品が発売されたりしたため、一躍全国でその名が知れ渡った。
味の特徴
信州出身で蕎麦屋から転業した店主が多かったので、スープは鶏ガラベースに鰹節や煮干などの魚介系の旨味を効かせた和風出汁。
麺は中細麺、つけそば(麺)には中太麺を使う店が多い。
荻窪ラーメン

味の系統
【和風出汁系】…味の系統を分類すればシンプルでオーソドックスな東京ラーメンに、魚介の旨みを効かせたのが「春木屋」、「丸長」、「二葉」。

【動物系】…動物系の旨みを主体とするのが「漢珍亭」と「丸福」。
「漢珍亭」は味付け玉子を提供した先駆け的なお店ともいえる。

【中華料理系】…「三ちゃん」、「徳大」、「十八番」、「珍来」等のお店は中華料理店的な要素が強い。
荻窪ラーメンの歴史
【黎明期】
戦前からあるお店は、1931(昭和6)年創業の「春木家本店」。
「荻窪ラーメン」の立役者となったお店が登場したのは戦後。

荻窪北口に闇市ができ、その頃よりラーメン店ができ始めた。
1947(昭和22)年には「漢珍亭(旧名:丸仁)」、同年12月には、「中野大勝軒」や「東池袋大勝軒」のルーツとも言うべき「丸長」がオープンした。

続いて1949(昭和24年)「春木屋」、1950(昭和25)年「丸信」、1951年(昭和26)「丸福本店」、1960(昭和35)年「三ちゃん」、1974(昭和49)「中華徳大」、1983(昭和58)年「二葉」…と続いた。

【定着・発展期】
1980年頃より、関東を端緒に豚骨ラーメンブームが起こり、ラーメン専門店が増加していく。
また、ラーメンブームと共にご当地ラーメンも脚光を浴びるようになり、荻窪ラーメンが注目されるようになったのはやはりこの頃。

1984年(昭和59年)年に放送された「愛川欣也の探検レストラン(テレビ朝日)」の影響も大きい。
その企画は人気店の「春木屋」と「丸福(2005年移転)」の並びの立地で閑古鳥が鳴いていた「佐久信」を繁盛店にするというもの。

また、1985年(昭和60年)に伊丹十三監督の話題作『タンポポ』は、「佐久信」のエピソードをヒントに、店舗のセットは「春木屋」をモデルにしたと言われている。

1987年(昭和62年)には「荻窪ラーメン」という名称のインスタントラーメン(※)が発売され、全国的にその名が知れ渡るようになった。
 ※ 「荻窪ラーメン」東洋水産(マルちゃん)、「ラーメン食べある記『荻窪ラーメン』」カネボウフーズ。

【斜陽化】
東京ラーメンのシンプルでオーソドックスな特徴に加え、魚介系もしくは鶏の旨みを加えたのが「荻窪ラーメン」と定義づけられる。

駅前の区画整理のため「佐久信」は既になく、「おもちゃん」もご主人が高齢のため閉店、一頃は「春木屋」と人気を2分した青梅街道沿いの「丸福」も今はない。

この地に新たに参入するのはチェーン店や味の系統がまったく違うお店。
1990年代半ばより各地域で、独創性の高い「ご当人ラーメン」のお店が増え、主流となった。
所謂「ご当地ラーメン」とは違い、村興し的な要素や「荻窪ラーメン振興会」のような組織はなく、「荻窪ラーメン」を支えていくものはない。
その総称も何れ死語となるかもしれない。
「丸長」「丸信」の店名の由来
「丸」、「丸」は文字通り、長野の、信州のの一文字を取って屋号にしたお店。
信州の蕎麦屋から転身し、蕎麦のかえしを応用した鰹節、鯖節のダシの効いたラーメンを提供している。
2つのはるきや(春木屋・春木家)
歴史が古いのが「春木家本店」。
有名になったのが青梅街道沿いにある「春木屋」。

荻窪に「春木家本店」と「中華そば春木屋」という二つのお店がある。両者は系列店でもなく、店主同士が血縁関係でもない。日本蕎麦を起点に、うどん、中華そばをメニュー取り入れて営んでいるのが前者、中華そば専門店として、荻窪ラーメンの代表格となったのが後者である。

歴史をたどると一点の繋がりが見えてくる。
春木家本店(旧屋号・春木屋)」は杉並区天沼の地に1931(昭和6)年創業。
その後、その分店として杉並区上荻で中華そば専門店を開業した。
そのお店を営んでいたのは親戚筋(本店創業者の弟らしい)。
戦時中、戦火が激しくなり、両店共に営業を停止。

戦後、「春木家本店」は天沼の地で再開。
一方、「中華そば春木屋」は1949(昭和24)年に、今村五男氏が上荻の闇市街に固定型屋台という形で開業した。
初代今村氏の修業先は本店と思われるが、実証すべく資料はない。
ただ、三角形の海苔の形状のみが繋がりを物語っている。

東京ラーメンを語るに荻窪ラーメンは外せない。
死語になりつつあるこの名称も、ご当地ラーメンブームに乗り、一頃はその代表格として脚光を浴びた。
また、多くのファンの支持を得て、現在も人気店である。
 春木屋の歴史
1949年(昭和24年)4月創業。
創業者は、今村五男 氏。二代目は、今村幸一 氏。

関連店は、支店として「春木屋吉祥寺店(東京都武蔵野市吉祥寺本町2-14-1)」、分店として「春木屋郡山分店(福島県郡山市桑野2-16-13)」などがある。

※分店(暖簾分け)の店主は、8年間修業した先代の一番弟子(先代は、「大事に作り上げた味が変わる」という理由で、それまでは弟子を採らなかった)。

「春木屋」は、戦後の荻窪の闇市で、固定屋台として始まった。
脚光を浴びるようになったのは、1980年代。
それは、ご当地ラーメンブーム。
東京ラーメンの顔として、「荻窪ラーメン」が広く知れ渡るようになった。
そのブームにより、行列する店も増え、「ラーメン激戦区」、「ラーメン・エルドラド(伝説の黄金郷)」とも称された。
その筆頭として、メディアで一番多く取り上げられたのが、この「春木屋」であった。

ブームが去り、大行列がなくなった後でも、親子三代続いて食べに来る常連さんがいるほどの人気店。
2つのまるふく(丸福)
2005年以前には、荻窪北口駅前通商店街にある「丸福」と青梅街道沿いの「丸福」と同名の2軒があった。
前者は“黄色い看板”の「丸福」、後者は“白い看板”の「丸福」と呼ばれていた。

■丸福 荻窪本店・・・黄色い看板
1951年(昭和26年)創業。
創業地は、現在バスターミナルがある周辺。
創業者夫婦とその妹夫婦で、切り盛り。

その後、2代目が厨房に立つ。
「丸福 西荻店(1984年創業)」は、2代目の弟が店主。

■丸福・・・白い看板
創業は、荻窪本店とほぼ同じ頃。
「丸福 荻窪本店」の創業者の弟が開業。
弟は、兄から味づくりや経営のノウハウを教わった。

2代目の時代、メディアに取り上げられ、連日行列のできるお店となった。
*接客態度や、客への言動が話題に。
*脱税が、発覚。週刊誌に取り上げられた。
 税務署員が、捨てられていた割り箸の本数から、脱税額を割り出したという。

2005年閉店。
*負債を抱え、家賃を滞納したため閉店。

2006年3月3日に、武蔵野市(最寄り駅:三鷹)で営業開始。
2008年1月、同店を閉店。
 

ご当地ラーメン荻窪ラーメン

荻窪ラーメン

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